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2013/09/07

お見送りして参りました…

昨日、8月30日にお亡くなりになったアニメーター、田辺由憲さんをお見送りして参りました。
金田さんや貞光さんよりも2歳年上だったそうで、享年63~4歳になるのかと思います。

僕にとっては田辺さんのお名前を初めて知ったのは、35年前の『宇宙魔神ダイケンゴー』第1話のEDクレジットでした。
田辺さんは、作画監督とBパートのロボットの戦闘シーンの原画を担当されていました。
※このシーンは、一部OPにもそのまま流用されています。
また1話の他にも、4本ほどの各話作画監督や最終回のクライマックスシーンの原画も担当されています。

予備知識なく見た重量感に溢れるそのロボットアクションは、衝撃的でした。
また金田伊功さんのアニメに憧れて上京した自分にとって、それは同じ系譜の映像に感じました。
当時、1話の田辺さんの原画を持ってすぐにスタジオZを訪れ、金田さんに田辺さんをご存知かお聞きしました。
その時に初めて、田辺さんが金田さんと同じ野田卓雄さんの(旧)スタジオナンバーワンでお仕事をされていた事を知りました。

昨日、あらためて野田さんにお聞きしたのですが、『ドロロンえん魔くん』~『大空魔竜ガイキング』の時期に(旧)ナンバーワンでお仕事をされていたそうなのですが、その時期は原画ではなく動画を担当されており、作業もご自宅でされていたのだそうです。
と、いうことは『ガイキング』のあと(旧)ナンバーワンを離れ、たった1年半程度の間に原画にを始められ、新番組の1話の作画監督を担当されるまでになられたことになります。

『ダイケンゴー』当時も、田辺さんは制作会社のグリーンボックス所属ではなく、フリーとしてご自宅で作業されていましたので、僕はお目にかかったことはありませんでした。
※当時のグリーンボックス社内に常駐されていたチーフアニメーター(作画監督)は井口忠一さんおひとりだけでした。

僕が初めて田辺さんにお目にかかったのは、19歳の頃だったでしょうか。
(新)ナンバーワンに遊びにこられた時だったかと記憶しています。
クレジットはされていませんが、『アクロバンチ』11話や『レインボーマン』21話の原画もお願いしています。

その後、田辺さんは(新)ナンバーワンに席を置かれることになりましたので、数年は一緒にお仕事をさせていいただいています。
『オーディーン 光子帆船スターライト』をやっていた頃だったかと思います。
僕が『コズミック・ファンタジー』をやっていた頃には、もう席は残されていなかったと記憶しています。

金田さんが中型二輪の免許を取ってバイクを買ったら、負けじと自分も免許を取ってバイク乗りになり、ライダースーツまで揃えていらっしゃった姿が昨日のことのように思い浮かびます。
個人的には、『キャプテンフューチャー』をやられた際に、普通の振り向きを1コマ打ちでやってみたら、残像が全然残らなくて失敗したと何年もしてからおっしゃっていたのが印象に残っています。
お仕事の取り組み方もストイックで凝り性な方でした。

それ以来、もう20年以上疎遠になってしまっていたのですが…
最後にご連絡をしたのは、金田さんが亡くなった時に、送る会のご連絡をした時だったでしょうか。
その時も、「僕は僕の送り方で金田くんを見送るから」とのお返事でした。
最後に「(連絡してくれて)ありがとう」とおっしゃっていただいたのが、田辺さんと最後に交わした会話でした。

東映アニメの方にお聞きした話では、入院される直前まで『ワンピース』の原画をやられていたそうです。
最後まで現役でいらっしゃった方でした。
田辺由憲さんのお仕事に敬意を表し、心よりご冥福をお祈りいたします。

それにしても、こちらは寂しくなる一方で…向こうはもうずいぶん賑やかで楽しそうだなぁ…

※便宜上、スタジオナンバーワンを(旧)(新)と記述しております。
(旧)…『惑星ロボ ダンガードA』辺りまでの会社組織としての時期
(新)…野田さん個人のスタジオに、スタジオZを解散後の金田さんたちが間借りして、便宜上ナンバーワンの名前を使っていた時期

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